ハイデガーとハバーマスと携帯電話

ケータイ文化論かと思いきや、哲学と社会学からのアプローチ。
かな〜り重い。
コミュニケーションの定義で混乱するが、まあ、色々な立場(視点)があるだろう。

  • ケータイは、自己中心的な欲求を極大化させる。
  • ケータイで話している相手は、本質的には人間では無い。システム(機械)である。

とする、究極的な視点は、ちょっとビックリ。

旧来型のコミュニケーション(相互理解と共感に基づくもの)が崩壊するのと同時に、新しいコミュニケーションのフレームワークが生まれるのか?若干の期待を示しながらも、旧来型の価値観への揺り戻しを強く期待している感じ。